実施理由/背景
模型をとおして「奴国王墓」から見つかった副葬品の素晴らしさを、多くの人に見て実感してもらいたい
須玖岡本遺跡は、明治32(1899)年に、約30面前後の前漢鏡のほか多数の副葬品が出土した甕棺墓(王墓)が発見されたことを機に、全国に知れ渡った弥生時代を代表する遺跡です。特にここから出た前漢鏡のうち、大きさ20cmを超える3面の鏡は、中国では王侯クラスの墓から見つかっていることから、中国の皇帝から国の王として認められた可能性があります。
しかし、鏡などの副葬品は破片になっており、数や全体の形を見せることは困難でした。
このプロジェクトでは、王墓から出土した副葬品の模型を製作し、皆さんに王墓の素晴らしさを見た目でも実感してほしいと考えています。
プロジェクト内容説明
奴国王墓に収められた副葬品の価値は?
奴国王墓は、明治32(1899)年に、地元の人々によって、30面前後の前漢鏡、10本程度の武器形青銅器、ガラス勾玉などが副葬された甕棺が発見されました。ここから出た前漢鏡は、当時の最高クラスの副葬品です。特に20cmを超える大型の銅鏡は、中国では王侯クラスの墓から見つかっていることから、中国の皇帝から国の王として認められた可能性があり、奴国王墓からは大型の草葉文鏡が3面出土しました。また、草葉文鏡は、日本列島では奴国王墓でしか見つかっていないので、国内でも大変貴重な鏡です。
ピラミッドの図は、王(首長)墓と副葬品の格差を示したものですが、この図からも多種多様な副葬品、特に多くの鏡を保有した奴国王の権力は高いということがわかります。
一つの甕棺墓から多くの鏡を含む副葬品が見つかったことは大変貴重で、このことは広く学界に知れわたり、考古学者によって周辺の調査などが盛んに行われました。そのなかで、九州大学の中山平次郎氏や京都帝国大学の梅原末治氏による精力的な資料収集や分析によって、奴国王墓に納められていた鏡などの実態が明らかになりました。
しかし、収集された鏡は破片ばかりで、全ての鏡の大きさがわかるような状況ではありませんでした。
目指すところ
奴国王墓に収められた副葬品を再現したい!そのためには…
考古学者の資料の収集や学術的な研究の積み重ねにより、多くの副葬品を持った奴国王の権力の高さが明らかになった反面、副葬品は破片のものが多いことから、その全容を示せず、臨場感を出すことはできませんでした。
「奴国王が持つ副葬品をもっとわかりやすく、具体的に見える形にしたい。」
今回のプロジェクトでは、奴国王墓から出土した副葬品の模型を製作し展示することで、見た目にも王墓の素晴らしさを実感し、奴国王墓ひいては須玖岡本遺跡への理解を深めてもらおうと思っています。
製作内容
・銅鏡(30面):大 1面、中 1面、小 1面、鏡面のみ 27面
・武器:銅矛 1本
・玉:勾玉 1個
寄付の使い道
受け付けました寄付は、下記の用途に使わせていただきます。
・奴国王墓副葬品模型製作・展示
自治体からのメッセージ
ご支援していただく皆様へ
この度は、奴国王墓から見つかった副葬品を再現するプロジェクトにご興味をいただき、ありがとうございます。
奴国王墓が持つ副葬品は、種類や数からも圧倒的権力の高さを誇っています。今回のプロジェクトで、模型を製作し、見た目にも王墓の素晴らしさを実感していただけるよう取り組みます。どうぞ温かいご支援をよろしくお願いいたします。
事業スケジュール
2023年10月~2024年3月:王墓副葬品模型製作
2024年4月~:奴国王墓発見125周年を迎える令和6年4月から奴国の丘歴史資料館に展示予定