4月で59歳になりました。身長175センチ。体重68キロ。最近視力は0.6程に低下。 自宅は、ホテル白菊お隣の宮地嶽神社の横にあり、妻と二人住まいです。 長男29歳は飲料メーカーに就職し、大阪経理部に配属された後、現在福岡支社に転勤、大手スーパーを顧客として九州一円を統括する営業マン、未来の伴侶募集中。 長女26歳は、今年結婚した新婚さんで、公務員として新生活スタート。 次女24歳は、東京で航空会社OL、人事部で奮闘中です。 私は、84年慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、JTBに入社、大阪の本町にある団体旅行大阪支店に勤務し、団体営業を担当していました。87年11月に父が急逝し、別府に帰り家業であるホテル白菊に入社しました。14年前に社長に就任し、現在に至ります。 90年に、別府青年会議所に所属し、10年間にわたり、たくさんの方々と交流を深めることができました。そして、地域を元気にする活動に取り組んで参りました。 87年には理事長となり、読売ジャイアンツキャンプ地誘致や全国JCサッカー選手権大会を別府で開催を致しました。 2011年の東日本大震災の時には、東北の南三陸町に別府の温泉を10回にわたり、18トンのトラックで運び、被災者の方々に入浴していただきました。別府温泉東北の湯です。被災者の方々から、笑顔で「生きかえったよ」「必ず別府温泉に行きますね」との温かいお言葉をいただき、我々が逆に元気をいただきました。これをきっかけに、受け身の観光から積極的に情報発信する大切さを感じ、県に働きかけ、2012年「おんせん県大分♨味力も満載」を錦の御旗とした大分県のプロモーションが始まりました。 2016年の熊本大分地震では、打撃を受けましたが、観光振興ふっこう割のおかげで、3か月後にはv字回復を達成しました。その後、ビザ解禁やLCC航空就航により、インバウンドの伸びが顕著となり、観光産業は国の基幹産業であると位置づけられました。 そして今回の新型コロナウイルス危機です。白菊は、現在52日間の休業に入っております。あたりまえのように毎日お泊りいただいていたことは、あたりまえではなかったことを、痛感しました。国内のお客様が戻ってくるのには、時間がかかるでしょう。まして、海外のお客様はまだまだその後です。ゼロからのスタートです。続けること、辞めること、新しく始めることを試行錯誤しております。 旅館は、すそ野の広い産業です。お米、お肉、お野菜を始め、納入会社の方々は、80社にもなります。休業中は、料理人と地元大分の農家、漁師を訪ね、新規開拓を進めております。地元の食を大切にする取り組みは、改めて別府温泉、大分県の恵まれた環境に気づかされます。大地の恵に感謝です。こうした食材を仕入れ、調理し、味わっていただくことこそ、お客様が望んでいること、旅館業の役割と強く思います。 そしてコロナとの長い闘いになることは避けられませんが、コロナには絶対負けないとの思いで、営業再開に向けて、邁進して参ります。
新型コロナウィルスの感染拡大で、怒涛のごとく相次ぐキャンセル、全国に広がる緊急事態宣言で、一時休館を余儀なくされております。なんとかホテルを存続させ、この状況が...