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  • 在住国:日本
  • 現在地:島根県
  • 出身国:日本
  • 出身地:大阪府

私は、大阪で産まれ大阪で育ちました。長い間、自分と向き合い自分は何をしたいのかを自問自答していました。ある時、食卓の卵を見て思いました。これだ、卵は日々の生活において欠かす事の出来ない食材、と感じて直ぐに動き出しました。何も解らないのでとりあえず養鶏場で1年間働き、経験を積みました。養鶏場で働いてみて解った事ですが、それは悲しいものでした。鶏は薄暗い太陽の光も浴びれない狭いケージに5羽も6羽も入れられて生活していました。鶏舎に入ると耳に飛び込んで来るのは正に悲鳴の様な鳴き声でした。そして、朝一番にする仕事は死骸を見付けることから1日が始まります。何万羽もいる狭いケージの中から死骸を見付けるのは一苦労で、何日もの間見付けられずにいた鶏は腐って異臭を放ち、その死骸と共に何日も生活している鶏もいました。夏になれば床にはうじが湧いて、それらを踏みながら仕事をするという状況でした。そして鶏達は太陽の光も浴びられない、運動も出来ない勿論、交配も出来ない、朝起きて卵を産み、餌を食べさせられての繰り返しというのが実態でした。鶏に与えている餌もどの様な内容の物なのかと考えてしまいます。挙げ句に、成鶏になる迄に定期的にワクチン、抗生剤投与がありました。内容は飲水ワクチン、噴霧ワクチン、目薬ワクチン、注射ワクチンでした。私は鶏達の飼育内容を知ってしまった為か、今では市販の卵が食べられなくなりました。口にする物だからこそ安心安全でないといけないと私は思いました。これは自分がやりたい飼い方ではない、自分は絶対に放し飼いでやっていこうと決めました。人間も同じで、閉じ込められて太陽の光も浴びられない、運動も出来ない、異性とも会えない、ストレスが溜まり病気になると思います。考えてみて下さい。私はそんな鶏が産んだ卵に栄養が有るとは思いません。ここでの就業については自分に必要な所だけを習得して、これから先の放し飼い養鶏に繋げようと思い働き続けました。その1年の間に養鶏場を営む場所を探しました。そして1年間の養鶏場での経験が終わりに近づいた時、理想の場所が見付かりました。早速この地で生活を始めて会社に勤めながら少数の鶏を飼い知識を得ながらそれと並行して少しずつ設備を整えています。 度々訪れる人々が鶏が放し飼いにされている のを見て、こういう場所がなかったので凄く嬉しいです、頑張って下さい、と言って頂けます。そしてまだ少量では有りますが卵を販売していて、卵を食べて頂いたお客様からは、自分の子供は卵アレルギーで卵は食べられなかったけど、ここの卵は食べれました、という御言葉も頂けました。私はとても嬉しくて絶対にこのプロジェクトを成功させようと決めました。私は、片道切符を買いました。 最後に私の夢は、 観光養鶏場、虹色卵、自然に包まれたカフェです。 皆様の笑顔と健康の為にもこのプロジェクトを絶対に成功させます。このプロジェクトが成功して、それから先ずっと誰もが放し飼いの卵を低料金で購入できる様にする計画です。 皆様、どうか私に御力添えを宜しくお願い致します。

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