▶︎出身 鳥取市生まれ ▶︎植物好き 小さい頃から一人遊びが趣味、週末は、珍しい植物を探しに、母の実家の山の探検、 祖母の少し酸っぱくなりかけが美味しい手作り味噌汁が大好物。祖母の作る花を持って帰るのが好きだった。通ったことのない山道、知らない道を探検することが好き。 ▶︎小学生6年間、自由研究全て植物採集。海浜植物、海草、シダや苔に至るまで。 愛読書は、おばあちゃんの机の上の、山と渓谷社の「野の花」1、2、「山の花」1、2だった。本で見た花を探しに行くのが楽しみに。「高山植物」1、2を自分で買った。 ▶︎鳥取市立北中学校時代 体操部 踊ること、振り付けを考えることが好き。 体の芯の部分に正直な、自分に納得のいく体の動かし方が得意。足を怪我していることが多かった。アクロバティックがダメでも独創点で点数を稼いだ。高山植物見たさに、高校では、山岳部に。インターハイでも靭帯を切り、下山を余儀なくされた。 ▶︎ピアノ ショパンと、ビートルズのポールマッカートニーが好きだった。 バラード第一番を聴きながら、ヨーロッパの湖で白馬の王子様と出会空想にふける。 鳥取県立鳥取西高等学校卒業 父の従兄、人類学のノーベル賞「ハクスリー記念賞」を受賞の、アフリカの伊谷純一郎さんから面白い手紙がきていた。外国でフィールドワークをする博士が夢に。 中学は、10クラス中常に成績が20番以内で、たまに一桁。授業中に疑問は全て解決。高校時代、勉強せずひどい成績に。担任に「環境に恵まれているのに、君が勉強しないのは一つの罪だぞ」と言われた。 ▶︎神戸時代 甲南大学理学部生物学科を卒業後、 同大学院社会学部人文科学課の藤岡ゼミで「精神の進化論」の研究室の研究生として一年在学。研究室恒例の精神科でバイト。 新入患者と間違われ、病棟を案内された。「あなたは芸術家になりなさい」と院長から。多分、優しく、クビになったのだと思う。 ▶︎バイク バイクにはまり、スズキの400CCの赤い「GSX400E 刀」という中型のバイクに乗っていた、ツーリングクラブにも入っていた。 ▶︎クルージング部 大学では大型のヨットのクラブに。 僻地を旅するクラブ。日本の僻地は何より異国情緒たっぷりで面白かった。島が良かった。シャチも見た。様々な色の違う海流を見た。太平洋が横断できる20トン未満の小型船舶1級免許を取得。この頃、漁師の奥さんになるのが夢だった。 部費を稼ぐために、女子学生ラウンジという高級クラブみたいなところでバイト。大学教授、ゴルファー、野球選手、ヤクザの親分、会社の社長、社会的地位の高い人がたくさん。働いている女の子は、魅力的な人が多かった。 まきちゃんという素敵な女の子と友人になった。 初めてボーフレンドもできた。どえらい失恋もした。 毎日が冒険だった。 ▶︎イエローページ この頃の神戸の最高のガイドブック、イエローページを片手に、ケーキ屋、パン屋を巡り巡って、クロアッサンとパウンドケーキと、シュークリームと、プリンを食べ歩いた。初めてファッションに目覚め、輸入雑貨店、異国料理店、そして、バーにハマった。 ▶︎バーデビュー お酒好きの男友達から、「バー・ラジオのカクテルブック」を見せてもらったのがきっかけ。外国の俳優の名前のついた美しいカクテルの入った、バカラのグラスのアップが並ぶ、美しい写真集だった。 東京の、「バー・ラジオ」に、ブックを見せてくれた男友達と、彼の婚約者と一緒に行った。初恋の人と紹介された。前も同じようなことがあった。それも結婚式だった。 バーの天井は、星空のよう。 ジャンヌモローに、彼女の名前のついた、オールドピンクのカクテルを出したら、「私はこんな強い女じゃないわ」と言われたとマスターが言っていた。 古き良き神戸には、いいバーがいくつもあった。皆、品があり、どれも個性的だった。 ▶︎バイト 北野町のフランス料理の店でバイト、三宮の繁華街が庭。 「男子アルバイト募集」と書いてあった店。男子に出来ることは女子にも出来ると言い採用に。怖いマスターは飲みに行くといつも全部奢ってくれ、いいものの話しかしなかった。「ジャガイモって何分茹でるんですか?」「そんなもん茹だるまでや!」妙に納得。ターコイズブルーのワインの瓶に、マスターのお母さんがひまわりとかを生けていた。アンティークショップにもハマった。 神戸の街は、洋館から出た素敵な掘り出し物にあふれていた。 やがて、研究生終了、大学院に受かることもなく、博士の夢破れて、帰郷した。 ▶︎帰郷 地元テレビ局報道局美術部でテレビの文字を作る仕事。写植機で文字を打った。シルクスクリーン工場で、色を作る調色の仕事。 油絵を習った。親戚に郷土では有名な洋画家が二人もいたので、習い憎かったが実は結構好きだった。先生が素敵だった。東京に行く時に、素敵なお手紙をもらった、ラブレターみたいだった。 太極拳講習会を主催。片道2時間かけてバイクで習いに。大変だったので来てもらうことにした。ダイビングライセンス取得。 ある日、思い立って、なんでもいいから、クリエイティブな仕事を紹介して欲しいと、実家のお店の関係者に電話、ブライダル雑誌の仕事にありついた。 雑誌の編集長に、京都で面接の時「明日から来るならええよと」言われ、 多分断り文句だったのだろうが、 随分急だなと思いながらこれを断ったら、東京が当分先になると、荷物は後で送ってもらうことにして、次の日から、東京に行くことに。 ▶︎上京 ブライダル雑誌の編集で、全国を取材。広告営業、制作、SPプロモーション、デザインもやった、コピーが何か知らずに、コピーも書いた。海外にも取材に行った。写真も好きなだけ撮らせてもらった。写真家になりたいと思った。 アラーキーにハマり、写真全集全20巻を買い、買った人だけもらえる「さっちん」という写真集をゲット。ヌードを撮ってもらおうかと思ったことも。 そしたら、人生が変わるかもと。朝日新聞社へ入稿、東銀座で仕事終わりになることが多かった。 椎名誠が責任編集の、お酒の雑誌「バッカス」の付録に「日本バー名鑑」があった。古き良きバーが世代交代に入り、オーナーが変わると、バーが変わる、いいバーは今のうちに行っておかなくてはと書いてあった。銀座のバー巡りに拍車がかかった。 もっと撮影がしたいと篠山紀信のシノラマを作っている会社に転職。 富山博の仕事で富山の祭りや自然を撮影、伝説のバー「ロッジ」に巡り合った。 ジェノバ博では、空撮カメラマンと知床に流れ着く流氷の撮影に。 何日もの天候待ちの間に、エンジンをかけなくても、気流に乗ると、浮かんでいる小さい飛行機にの乗せてもらった。 どの一コマも、キラキラして、全てが宝石のような時間だった。 ▶︎結婚&出産 職場で知り合った、魅力的な男性と結婚した。 夫婦で同じ会社は難しいと 職場を辞めることになった。 タレントの大場久美子さんのマネージャーに。彼女の自己破産を体験し、写真週刊誌フラッシュに映った。芸能界の裏側を垣間見た。 テレビ、ラジオ、ドラマ、舞台、地方営業と一通り経験した。 妊娠で退職、フリーライターに。 子供がいる社会的弱者の立場では、達成感のある仕事ができないと 結婚式の時に着たおばあちゃんのアンティーク着物に魅せられていたので、アンティーク着物で、起業を決意。 ▶︎帰郷2 東京の住まいが、借家で、営業許可が取れず、古物商の許可証を取りに鳥取に帰った。 実家と実家の経営するお店の全焼で、商売道具の着物300万円が、全て灰に。 実家を手伝うことに。絶対しないと思っていた仕事が、結局一番長く続けている仕事になった。火事で人生が一変した。愛犬も無くなった。 しばらく言葉にできないほど悲しかった。 ▶︎そして現在は 火事から20年、会長である父と社長だったの母が、近年立て続けに亡くなり社長に。現在に至る。 ▶︎座右の銘 「住みよくなき世を 住みよくなすものは 心なりけり」詠み人知らず、どんな大変なことがあってもそれは限りなく良いことの兆し、人間は心の持ち様で、自分自身を幸せにすることができると言う意味、「全ては、必要必然最善」 ▶︎好きな言葉 チャンレンジ、ピンチはチャンス、火事があった家は繁栄する、谷深ければ山高し ▶︎趣味 茶道(裏千家)、万葉かな習字、イチローで有名なワールドウイングでのトレーニング、週一回花を生ける、鳥取の僻地、道無き道へのドライブ ▶︎今はまっているもの オンラインサロン西野亮廣エンタメ研究所、箕輪厚介、尾原さんの話をYouTubeで聞くこと。 ネットの中の仕組みについて猛勉強中、オンラインセミナーで勉強する ▶︎水瓶座 A型
コロナで結婚式が延期となったり、結婚式が挙げられなくなったカップルへ!こんな時代だからこそ、未来を開く次世代の着物「和装遊戯」に二人からメッセージを込めて、鳥取...