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生活に美しい彩りを。環境負荷が少ない日本の伝統工芸を応援する舞台を木曽路から。

土からうまれ土にかえる、木曽のものづくり。誇るべき木曽の工芸品を多くの人に手にとってもらえるように...。木曽路の宿場・奈良井宿に、お店を作ります。漆器などの木曽の木製品は、土にかえる優しい工芸品。しかし、それらをつくる職人は減少しています。職人の手元に資金が入るための場を整備します。

現在の支援総額

893,050

148%

目標金額は600,000円

支援者数

53

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/02/27に募集を開始し、 53人の支援により 893,050円の資金を集め、 2022/03/31に募集を終了しました

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生活に美しい彩りを。環境負荷が少ない日本の伝統工芸を応援する舞台を木曽路から。

現在の支援総額

893,050

148%達成

終了

目標金額600,000

支援者数53

このプロジェクトは、2022/02/27に募集を開始し、 53人の支援により 893,050円の資金を集め、 2022/03/31に募集を終了しました

土からうまれ土にかえる、木曽のものづくり。誇るべき木曽の工芸品を多くの人に手にとってもらえるように...。木曽路の宿場・奈良井宿に、お店を作ります。漆器などの木曽の木製品は、土にかえる優しい工芸品。しかし、それらをつくる職人は減少しています。職人の手元に資金が入るための場を整備します。

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木曽から得た風景
2022/03/10 23:56
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運営チームの伊藤です。今回もメンバー紹介の活動報告です。東京造形大という美大を卒業後、上海にある建築設計事務所に勤め独学で建築を勉強しました。帰国後に事務所を立上げ、10年ほど前から同大学の友人と共に木曽平沢で空き屋の運営・改修や地域デザインのことなどしています。設計実務以外でも塩尻市のえんぱーくで趣味で楽しみたい一般者に向けて、誰でもできる建築教室を通年で主宰しています。1年ほど前までは東京と平沢周辺での生活が半々ぐらいでした。家庭を持つ運びになり、住いを木曽平沢など活動範囲を含めで現在探している最中です。良い物件があれば教えてください(笑)(移住のきっかけやこれまでの仕事など)木曽平沢や周辺の綺麗な自然環境が気に入ったのは、生まれ育った環境が大きく影響していると思います。私は埼玉県にある小さな町で、畑と森がほとんどの自然豊かな環境で育ちました。小さい町特有の、美しい自然があるけれど不便・関係が密で協力を得易いけれど話が広まりやすい。田舎町の現実を予め知っていたので、そうした良し悪しが一体となった環境も都合のよい部分だけ享受することなく正直に向き合えました。建築を仕事にする前は少し放浪癖もあり、色々な国や場所をうろうろしていました。結局何が一番楽しかったか振り返ると、訪れた先での人付き合いやその場所特有の自然や食べ物や出来事です。都市部や地方の小さな町と人、それぞれに独特な楽しさはありましたが、暮らすのは自然環境が良い場所や食事の素材が美味しい場所が良いかなと思ったりもしてました。それも小さい頃の環境が多分に影響してそうです。普段は社会的に意義があるような魅力的な古民家改修の仕事ばかりをしているわけではありませんが、建築物を通しながら様々な人や出来事と接します。幸いにも建築は場所や人と密に関われるので、空き屋のことに取組むなかで木曽とそこで生活する人達と知り合い沢山のことを教えてもらったり、おいしい食べ物も一杯頂きました。そこでは多くの支えや助けもありました。そうした場所や人の魅力を発信できるような活動も続けています。面目にきちんともの作りをしている職人さん達のお披露目の場を作ったり、大学の学生さんに場所の魅了を伝えに行ったり、漆の世界で働きたい若い人の就業協力等などです。(木曽平沢に関わりはじめてからの仕事)自分達発信の仕事が多いと感じています。建築設計の仕事は発注があってようやく成り立つ仕事ばかりです。デベロッパーや不動産サイドに身を置く以外で、なかなか自分達から発信できる仕事は多くありません。私達世代はそうしたもどかしさを感じている建築家も多く、様々なアプローチを試みている最中です。建築の実務とは世間的に呼ばれないかもしれませんが、空き屋改修を設計やデザインの段階からワークショップ形式で進めてみたり、建築教室を主宰したり、漆職人さんの正当な評価が得られる場所作りをしたり、いわゆる建築物単体の設計やデザイン以外の仕事が多いです。木曽平沢に わたし市 というイベントを定期的に開催してくれる方がいて、そこに参加させてもらいながら職人さん・作家さんのお披露目の場を設けています。作品が人の手に渡った時に感謝されたり、お客さんの反応から作品つくりのアドバイスを求められたりすると、とてもうれしい気分になります。建築教室の生徒さんが図面と模型で一生懸命に計画と設計をした成果を、自分でDIYして実現した時などは私が設計し建築を実現したかのうように感動します。このあたりの感動は少し伝えるのが難しいですが、自分の知識や技術を使って他人事が自分のことのように喜べる仕事が建築でもできる、そんなところでしょうか。とおいち でもメンバーそれぞれの出来ることが結果的に誰かや何処かの役に立って、それを自分ごとのように喜べればよいなと思います。近年はごりごりの設計実務も現場監理以外は昔ほど場所を選ばずにできます。奈良井や木曽平沢など場所や人と長い時間向き合いながら、これからの仕事をしてければと考えています。(とおいちをはじめた理由)佐藤夫妻からお話があった時に、今までの活動の延長だったので直ぐにはじめられました。10年近く生活もしてきた地域なので、木曽路広域で魅了的な場所や人や食が沢山あることも知っていました。一人でそれらの魅力を伝えるのは荷が重いですが、仲間と一緒に取り組めばきっとできると思います。特に漆職人達の不遇や嘆きを近くで見てきたので、真面目にものづくりに取り組んでいる人や目指す人の紹介は力を入れてみたい領域です。漆を使って仕事をしたり作家活動をする人は沢山いますが、苦しい技術の世界を何年もかけて習得する人は本当に少ないです。高い技術を目指してさらに作品を作る真面目な職人さん達が、その腕の良さや知識を都合よく利用されている現実も身近で見てきました。なので職人さんや作り手さん自身にもっと陽のあたる場所を用意しないと、それを目指したいと思う若い人も現れてきません。職人を利用したほうが上手くいく作家世界なら、多くの若い人がそちら側を志してしまいそうです。漆に限らず全てのもの作りに共通する問題なので、とおいちで少しでも解決できればと考えています。職人さんは不器用で正直な物言いをしてしまう人も多く誤解されやすいですが、嘘が苦手で真面目な人たちです。真面目にものづくりしている作り手さん達の品って本当によいです。是非そうした品を手にとって体験してもらえるとうれしいです。(自分の理想はどんな暮らしなのか)理想、、、考えてみると難しいですね。今まで生きるのに一所懸命で、一つ一つ良いと思える方向へ登ってきましたというのが実感です。その一つ一つに何か理想もあったのでしょうが、言語化が全くできません。木曽地域やそこにいる人達と出会えたことも、そこで生活できていることも、パートナーと一緒に住む場所を探せていることも、地元の食材で仲間と食事をすることも、幸せを感じています。この先目指す大層な理想が直ぐに思いつきませんが、私生活としては綺麗な場所を散歩したり、優しい気持ちをもった友人達と食事をしたり、家庭の行く末を笑い泣きしてそれぞれが正直さと信頼をもって見届けられれば、幸せだろうと思います。とおいち も訪れた人が何か幸せを感じてくれる情報や体験や品を提供できるよう運営に励んでいきます。


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社会が大きく動くタイミングで地方と都市の2拠点生活をはじめ、気がついたら縁もゆかりもない土地に住みはじめてはや2年。その間、色々なことを考え、今に至ります。結局のところ、地域の中で、自分という存在が、職業ではなく職能とともに認識された時に、幸せというものを感じるのかもしれない。そんなことを最近、考えています。今日は、そんな、移住という選択肢の、現時点の結果について、書こうと思います。木曽平沢と名古屋の2拠点生活の始まり。筑波大学の教員を終え、見知らぬ土地名古屋で教員としての歩みを始めるタイミングで、かねてよりお付き合いをしていた今の奥さんは、ここ、木曽平沢に移住してきました。その距離、概ね、2時間半。関東で「陸の孤島」と呼ばれた筑波大学には、通勤で2時間以上かけていた先生も多かったため、我々の間では、「まぁ、それくらいの距離だなぁ。」という認識がありました。月に1回か2回、僕が名古屋から通う形で、妻が行っている木曽平沢でのまちづくり活動のお手伝いをしていたのがだいたい2年間。その過程では、多くの方との交流の機会を持つことができ、信頼できる方に出会えたのは本当に大きかった。今回のお店で出展してくれたり、応援してくれたり、漬物くれたり、いろんな関係の方がいますが、本当に助けていただいています。結婚を機に家を買い、1週間を名古屋と長野で半分こする生活に移行したのが、2020年の3月。ちょうど、コロナのスタートの時でした。コロナ禍の移住生活我が家は基本的に自主施工で改修を行っていました。空き家の間に荒れ果てた裏庭を開墾して畑も作り、休日には山菜や山仕事をしに山に入る。自分の手で、自分の暮らしを作る感覚は、田舎ならではの楽しみでした。でもこれは、想像の範囲内。意外だったのが、まちとの距離感。大学の授業がオンラインになり、せっせとオンライン授業をとっていると、道に面した我が家では、3軒隣の子供たちが道で遊ぶ声が聞こえる。オンラインMTをしていると、ガラッと玄関が開けられ、友達の子供が入ってくる。そんな光景は、名古屋で一人暮らししている時には想像もできませんでした。暑くなってきて窓を開けて改修作業をしていると、道ゆく知り合いが話しかけてくる。まちとみちと建築の距離がゼロな町家生活は、不思議な時間でした。まちの中に自分がいて、そこにいる人々との関係性に家がある。社会に不安が蔓延する状況で、心強かった。一方で、大学教員という自分の存在は、不思議なものでした。地域の知人からは、「大学教員」という認識をもたれるのですが、これ、全然、自分の性格や能力と関係もない言葉だということに気付きました。ただの役職なんです。ここ木曽平沢には、「漆器職人」が多くいます。彼らは、漆を塗るという技術がある人々だとすぐにわかるし、きっと手先が器用だったり、忍耐強かったりするんだろうと、想像が広がります。僕自身は、家をなおすことや建築を考えること、山に入ることなど、たくさんの興味があっても、それが一切伝わらない。だから、自分の職業をどう表現すべきか、考えるようになりました。つとめるを考えるその中で、「つとめる」という言葉を考えるようになりました。勤める、務める、努める...。現代社会は少々、給料との関わりの中での仕事に重きを置きすぎているのかもしれません。庭に出て草を刈っていると、「おつとめご苦労さん!」と声をかけられることがあります。このおつとめ、は、お金を何も生み出さないけど、でも、他者からは評価を受けます。この務めという言葉は、共同体生活における貢献とも捉えられるわけです。みんなでの地区清掃、お祭り、その他諸々の集落行事がまだ残るこの地域での生活は、仕事の意味を考える時間でもありました。自分ができることを他者に認識してもらうと、共同体生活の中でもその能力が発揮される場面にたまに出会います。それはつまり、勤めの能力が務めに役立つということ。この瞬間、仕事と暮らしが地続きになった感覚があり、どこか、人間生活の中でとても重要なものに出会った感覚がありました。仕事の能力が誰かの役に立ち、その喜びをもっと得たいと思い、努める。そんな、つとめの循環を意識した瞬間でした。各々ができることを少しずつ出し合って、そのまちをより良くしていく。少なくとも僕は、その一員でありたいと思いました。だって、自分の住む街くらい、楽しい街の方がいいじゃない。「住みたい街」は、ランキングに頼らなくても、自分たちで作っていくこともできる。僕たちがお店をやる理由も、もしかしたらこういう所にもあるのかもしれません。作るのが得意な人がいて、その魅力を伝えるのが得意な人がいる。それぞれの得意で協力しあうこと。それができたら、この街はもっと楽しくなる。土-とおいち-も、そんなお店になったらいいな、と思っています。


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活動方向では、色々と情報を発信していく予定ですが、まずは、とおいち運営チームからのメッセージをお伝えします。(簡単な自己紹介)はじめまして。とおいち運営チームのひとり、佐藤です。僕は千葉県で生まれ、筑波大学大学院を修了してから、建築デザインを教える大学教員として働いています。2年前に結婚し、長野県塩尻市木曽平沢で妻と田舎暮らしを楽しみつつ、名古屋の大学で働いています。今日は、なぜこのお店を始めるに至ったのか、そして、何を目指しているのか、つらつらと書かせていただきます。(移住のきっかけやこれまでの仕事など)大学で建築の勉強をしていて、学生時代からまちづくりに関わる機会がありました。埼玉県北本市では、駅前広場の改修にともなうまちの活性化に関する取り組みの手助け役を、研究室で担っていました。そこでの経験は、何も知らない僕を育ててくれた時間であるとともに、今につながるタネのようなものでもありました。いろんな方と関わりながら、少しずつ知恵や力を出し合って街を面白くしていくことの楽しさと大変さを学びました。宮城県石巻市では、復興後の集落のまちづくりに携わりました。自分が学んできたことが誰かの助けになるのかもしれない。そんな思いから、多くの時間を石巻で過ごしましたし、今でも一緒に仕事をしています。そこで出会った漁師さんたちからは、人生に必要なことの多くを教えてもらいました。自分でできることが多いことの強さ、そして、他者と協力することの重要性、数えきれない経験を、与えてもらいました。そんな石巻での経験があったから、僕は古いものや集落といったものに興味をもち、研究で全国の集落を回ってきました。僕たちが知らないことを多く知っている地域のおじいさん、おばあさんからお話を聞き、その村の成り立ちを考える。そんな研究をしてきました。そんな経験があったから、自分が住む場所も、魅力的な集落がいいなぁと漠然と考えていたわけです。そんな折、当時付き合っていた彼女が、職人がたくさん住むまちの古民家に移住しました。他方、僕は、すでに名古屋での仕事が決まっていたので、必然的に中距離恋愛が始まったわけです。(移住してからの仕事)名古屋で教員として建築を教える傍ら、全国の集落研究と石巻での活動は継続します。ずっと通い続けてきた石巻で、僕も地域に何か返したいと思いはじめたのが、「牡鹿漁師学校」や「石巻水産業担い手センター事業」という、漁師さんを応援するプロジェクトです。漁師さんと漁業に興味のある方をマッチングして、地域の漁業を盛り立てようという取り組みは、現地の一般社団法人とともに現在まで7年以上続けていて、40名以上の若者が漁師に弟子入りしています。また、地域に通ってくれる人がたくさんになって欲しいと、「もものうらビレッジ」という宿泊施設を企画して設計して施工して、運営する機会にも恵まれました。地域の魅力を考え、伝える、今でもとても大切にしているプロジェクトです。同時に、彼女に会いに足繁く木曽に通ううちに、木曽漆器をぬる職人さんたちと触れ合うことになります。職人さんのお話を聞くと、だんだん、漁師さんの仕事との共通項も現れてきます。そして、課題もどこか似通っている。もしかしたら、これは、石巻でやってきた、漁師さんの後継者育成に近い視点があるのかもしれない。また、名古屋から木曽に至る中山道で、四季折々の山の風景の美しさにも気付きます。もっともっと自然とともにある生活を楽しみたいし、素敵な暮らしをもっと多くの人とシェアしたいと思うようにもなりました。なんだか、石巻の魅力を伝える宿泊施設を作ったことに近いことも考えるようになってきました。(とおいちを企画した理由)そろそろ、木曽でも何か自分も活動ができるんじゃないか。そんなことを考えはじめたタイミングで、4年付き合った彼女と、結婚することになりました。彼女はその時地域おこし協力隊の任期が2年。生活のすり合わせを重ねるうちに、任期の終了のタイミングが近づきました。それまでに続けてきた活動を、どう続けて、発展させていこうか。そんな話をよくするようになります。結果我々は、地域の職人さんを応援したい。そして、奈良井宿に訪れた人に、もう一回きてもらいたい。自分の住む街が楽しくあって欲しい。漠然とした思いを、たくさん話すようになってきました。それら僕たちの理想を詰め込んだお店が、とおいちというお店です。職人さんを応援すること。地域のファンを増やすこと。それを実現するために、職人さんの商品を、職人さんの仕事の誇りとともに紹介するお店「土--とおいち-」を、仲間と一緒に始めることにしました。(自分の理想はどんな暮らしなのか)コロナの期間に読んだ素晴らしい本に、「cradle to cradle ゆりかごからゆりかごへ」というものがあります。知人の建築家の紹介です。最近、理想の暮らしは、廻るものなんじゃないかと思うようになりました。木を切って建物をたて、長い寿命ののちに燃やしてco2が木に還る。刈った雑草を土に埋めると、雑草は消えて無くなり土の養分になる。食べ物の残りを腐らせて家庭菜園の肥料にすると、美味しい野菜ができる。地方の集落に行った時二度と会わないであろう老人に優しくしていただき、そのお礼をしようとすると、「私はいい。私がしたいからしただけだから。だったらその感謝を、他の誰かにしてあげて。そしたらきっと、巡り巡って私に帰ってくるから。」そんな言葉をいただいたこともあります。人の行いも、きっと、廻るんでしょう。木曽で生まれた商品たちも、地球の循環の中の、優しい素材で作られています。良い商品は、誰かの笑顔を支えてくれる。暮らしのすぐ隣に良いものをおくと、日々の生活が幸せになります。そうすると、もしかしたら、他者に対しても優しくなれるかもしれない。手元に届いた商品が、優しい笑顔の循環を生み出すことができたら、それはやさしい社会の始まりになるかもしれない。少なくとも、職人の素晴らしい工芸品の魅力を理解し、手元においてくれる人は、職人に小さな幸せを、すでにくれています。そこからもきっと、幸せの連鎖は始まるでしょう。そんなことを願い、土-とおいち-をはじめます。