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上泉伊勢守信綱を全国区にするための舞台「信綱外伝 一槍の魂」を成功させたい!

徳川将軍家御家流・柳生新陰流の元となった新陰流の流祖として「剣聖」と崇められ、あの武田信玄と互角に渡り合った戦国武将“上泉伊勢守信綱公”の名を一人でも多くの人に知ってもらうため、この舞台を成功させたい!何卒ご支援のほど、よろしくお願い致します。

現在の支援総額

431,000

14%

目標金額は3,000,000円

支援者数

35

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/01/29に募集を開始し、 35人の支援により 431,000円の資金を集め、 2022/03/31に募集を終了しました

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上泉伊勢守信綱を全国区にするための舞台「信綱外伝 一槍の魂」を成功させたい!

現在の支援総額

431,000

14%達成

終了

目標金額3,000,000

支援者数35

このプロジェクトは、2022/01/29に募集を開始し、 35人の支援により 431,000円の資金を集め、 2022/03/31に募集を終了しました

徳川将軍家御家流・柳生新陰流の元となった新陰流の流祖として「剣聖」と崇められ、あの武田信玄と互角に渡り合った戦国武将“上泉伊勢守信綱公”の名を一人でも多くの人に知ってもらうため、この舞台を成功させたい!何卒ご支援のほど、よろしくお願い致します。

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リターンの種類を追加させていただきました!【追加内容】1,000円 お礼のメール2,000円 お礼のメール、「上泉伊勢守信綱公を全国区に!」パンフレットにお名前を記載、志道塾出演者のサイン付きチラシご支援よろしくお願いします!!


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上泉伊勢守陸会会長 設楽市郎さんから応援コメントをいただきました!設楽さんには、先日前橋にお邪魔した際、剣聖・上泉伊勢守生誕500年祭の大変貴重な資料を譲っていただきました。メンバー一同、上泉伊勢守についての理解を更に深めていければと思っています。余談ですが、前橋に伺うたびにいつも温かいコーヒーを志道塾全員にさし入れていただいています。心まで温めてくれる設楽さんからの応援コメントでした!ありがとうございました!


2022年1月9日(日)。志道塾一同で、上泉町の「お焚き上げ」と「八木節奉納」に参加してきました。年中行事のなかでも新年のイベントとあって、一同、身も心も引き締まる思いです。上泉町の「どんど焼き」は、全国規模で見てもかなり大掛かりなもので、直径15mもあるとのこと。刈り入れの終わった田んぼの中に組まれた、大きなやぐら。その前で殺陣のパフォーマンスをしました。田んぼの中で殺陣をするなんて、滅多にない貴重な機会。特に主宰・太田は、上泉伊勢守をイメージした、朱槍の殺陣を披露しました。演武終了後の温かい拍手に加え、上泉町の皆様からはたくさんの温かい声援をいただきました。「かっこよかったよ!」「がんばって!」「舞台、観に行くからね!」そんな皆様の声を聞いて、4月の舞台に向け、決意を新たにした新年の幕開けでした。殺陣パフォーマンスの後、いざ「どんど焼き」のやぐらに火が付くと、その勢いは猛烈なもの。戦国の頃、「上泉でのろしが上がれば、箕輪城まで見えた」という伝説の如し。煙は渦を描いて舞い上がり、炎は近寄れないほどの熱さ、竹の激しく爆ぜる音。なにより、お集まりの地域の方々のやさしさと温かさに触れ、上泉への、作品への意欲が増した一日となりました。「どんど焼き」の終了後、上泉伊勢守睦会の皆さんによる八木節披露があるということで、私たちも同行させていただきました。八坂神社・諏訪神社・上泉町自治会館の伊勢守銅像前の3ヶ所で、皆様が八木節を奉納するのを拝見しました。志道塾のメンバーは、初めて生で見る八木節に、興味津々。上泉町ならではの八木節はとても素晴らしく、夢中になって見入っていました。こちらの八木節隊の方々は、4月に上演する舞台「一槍の魂」の時にも、実際に八木節を披露されます。ぜひお楽しみに!ではまた、次の活動報告でお会いしましょう!(記事:彩野)次回は、頂いた「応援の声」をご紹介させていただきます。


舞台「一槍の魂」の主人公、上泉伊勢守信綱。今回は、実在した上泉伊勢守信綱が、どのような人物だったのか、ご紹介していきます。今から約514年ほど前。上泉伊勢守信綱は、永正5年(1508年)に大胡城主・上泉義綱の次男として生まれました。文武両道であったといわれ、「念流」「天真正伝神道流」「鹿島神流」「陰流」と、武芸を修めました。それにとどまらず工夫を重ね、ついには「新陰流」を創始します。家督を継いだ伊勢守信綱は、大胡城主として、戦国武将・長野豪正の家臣(?)として大いに活躍を見せ、「上野国一本槍」と言われました。長野業正のもとには、「上野国十六槍」とうたわれた猛者たちがいましたが、その中でも一番であるというつわものでした。しかし武田の進軍により長野勢は敗北、伊勢守信綱も、まだ若い息子を戦乱で失うなどの悲しみがありました。そんな伊勢守信綱を、武田晴信(のちの信玄)は配下に加えたいと考え、勧誘します。しかし信綱は、打ち首とされてもおかしくない状況にも関わらず、武田への仕官を辞退。一兵法者として生きていくことを強く望み、ついに武田晴信も伊勢守信綱のことを諦めざるを得ませんでした。兵法者として旅を始めた伊勢守信綱は、その剣技と人柄により、数多くの弟子を獲得していきます。中でも有名なのは、柳生宗厳(むねとし)。新陰流の極意を会得し、二世の印可を与えています。そうして兵法者としての道を究めるうち、ついに上泉伊勢守信綱は、正親町(おおぎまち)天皇の御前で、天覧試合を行うこととなります。その剣技に魅了された正親町天皇は、伊勢守信綱に対し「従四位下(じゅしいのげ)」という官位を与えられました。武芸の腕のみならず、人格者としても慕われ、多くの門人が全国にいたという上泉伊勢守信綱。意外なことに、いつどこで亡くなったのか、はっきりとしたことはわかっていないそうです。亡くなった場所や時期は定かではありませんが、群馬県前橋市上泉町の「西林寺」にお墓があり、今も大切にされています。西林寺などの信綱公ゆかりの地や、他武将との関係のお話は、また今度…。次回、「どんど焼きで信綱公演武を初披露!」お楽しみに!


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クラウドファンディング開始から5日が経ちました!早速4名の方からご支援をいただき、誠にありがとうございます!!一同、心より御礼申し上げます。ご支援いただいた方のお名前を、舞台特設Webサイトでご紹介をさせていただきます(リターン内容に応じて)。そして本日より、これまでの活動や上泉伊勢守信綱公についての記事を投稿して行きますので、お楽しみに!!※記事は17時頃に更新予定です。(本日は19時30分頃になります)