現在、近畿大学寺川研究室では、昔の図面、祐正の娘さんの記憶、当時の写真などをもとに、祐正と祐三が過ごした洋風の家などの復元図や模型の作成に向けて作業を進めています。 残念ながら空襲で焼けてしまいましたが、祐正の娘さんの記憶によると、赤い屋根に白い壁の3階建で、窓がたくさんあったそうです。その建物は「楽浪園」と名づけられ、善隣館に作った音楽クラブが応接室で楽器を引き、楽しんだようです。祐正も祐三もバイオリンを弾きました。 この家は、あめりか屋という工務店が建てたそうです。寺川研究室ではあめりか屋へのインタビューもしているそうです。今も京都にあめりか屋はあり、当時のあめりか屋とは形を変えて継続しているそうです。 当時の人の様子はわかりませんが、私が近所の借家人なら「お寺やのに、洋風の家建てはったわ」と驚きの目でみていたことでしょう。
佐伯祐正 の付いた活動報告
11月28日、中津学園に浅香保さんが来られました。浅香保さんは北区を中心に広報の仕事をしておられる方です。名前を見るとハーフのように思えますが、純粋な日本人です。 以前、地域猫の去勢手術の費用の一部をクラウドファンディングによりご支援を受け無事成功させたそうです。どんな拡散方法をしたのかを中心に教えていただきました。 私たちのクラウドファンディングは、見ていただくとわかりますが、今の段階で、目標額をやっと2割超えたばかりです。しかも残り15日しかなく、かなり焦っています。ただその中身を見ると、百人を超える人たちのご支援があり、応援コメントは暖かく、感謝の気持ちでいっぱいになります。心配をしてアイディアをくださる方もいらっしゃいます。なんとしても頑張らなばとも思います。 ・・・話を戻しますと、浅香保さんは私たちのこの状況を見て(多分見るに見かねて)、わざわざ中津学園まで出向いてくださったのです。藁をもすがる思いでいろんな質問しましたが、とても丁寧に惜しみなく情報を提供してくださいました。そのことで、気持ちが前向きになり、今は、その全てを実践しているところです。実はその時の写真を撮るのを忘れてしまい、、、 代わりに別の写真を。この写真は応援団でのとある会議風景です。話し合うことがありすぎて、毎日ラインで頻繁にやりとりしています。ただ膝を突き合わせて話すことも大事で、定期的に集まっています。後半戦も精一杯頑張りますので、ぜひ皆さんも応援よろしくお願いします!!