こんばんは♪今日も1日お疲れ様でした。もう12月になってしまいましたね〜アッと言う間に来年になりそうです(汗)さてさて、本日は6頭目のお馬さんのご紹介をさせて頂きます。ハートオブハート(牝16)セキテイリュウオー×ビジネススタイル2008年4月15日生まれ 愛称はナナちゃん栗毛の女のコ♥ドリーム・ハートの半妹になります。可愛すぎるから床の間に飾りたい(笑)道営 田部和則厩舎におりました。2010年6月9日デビュー。引退までは月1〜2回、3回位のペースで出走していました。道営なので毎年11月〜翌年3月いっぱい迄は競馬がお休みになるので、その間、牧場でゆっくりしてまた門別に帰る。と、言うパターンで競馬を走っていました。現役時は380キロ位の体重で牧場に帰って420キロ位の体重に戻すという繰り返しだった様です。門別で走っていた当時のハートオブハートダート1000メートル(たまに1200)で出走。2011年9月27日のレースでは五十嵐冬樹騎手で1着になりましたょ♥(コスモバルクの主戦ジョッキーでしたね~バルクも同じ田部厩舎でした)2014年10月21日がラストランになります。68戦1勝(いや、小さい身体で本当よく頑張った♥泣)このハートオブハートのラストランを待って、同月28日他の3頭と一緒に初めて岡山にきました。小さい頃からあまり身体も強くなかったので、牧場でも競馬の厩舎でもとても大事に育てられていた様です。仔馬の頃に喉に食べ物を詰まらせて牧場長さんが必死に介抱したり、競馬では馬込が苦手で、レースが始まる前には全身がブルブル震える様な状態だったりしました。実際に私もその状態を見た事があるのでレースに送り出すのがとても複雑でした(でも、アンタのお姉ちゃんはゲートに入れなくて競馬出来なかったからアンタは凄いと、私は思う・笑)調教後のハートオブハー卜2014年10月から岡山の乗馬クラブにいましたが、ずーっと北海道から出た事のない子でしたので、岡山は少し暑かった様です。人に乗られるとよく蕁麻疹を出したりしていましたね・・乗馬も彼女の精神には少しキツかったのかな?2019年の真夏は渡しておいたサプリメン卜すら与えて頂けなかったのでとても可哀想な事をしました。暑さとストレスで疝痛になってしまったり・・・人間のトラブルに巻き込まれるのはやはり物言えぬ動物という現実を目の当たりにしました。ほんとにごめん(泣)・・2019年9月姉のドリーム・ハートと共に産まれ故郷のクラウンホースメイトに帰厩。お姉ちゃんといつも一緒(笑)北海道にて。5年後の今年2024年6月に牧場の他の5頭と一緒に再度、岡山へー。岡山に来る前の野放しの1カ月は他の馬達と一緒に本当によく耐えました。1番心配してたょ・・・(泣)たった5年間だったけど、大好きな北海道、大好きな牧場、大好きな人達と過ごせて本当に良かったね。これからは皆と一緒にもっと幸せを感じて貰えるように頑張るから・・・・宜しくね♪ナナ。こんな経緯の中、頑張って生きてきた馬達のうちの1頭です。牧場が閉鎖になり6頭分の大所帯での移動費、これから必要になる馬着、その他馬の為に必要な費用・・・6頭分になります。皆様のご支援宜しくお願い致します。
こんばんは♪段々と冬らしくなってきました。さて、早いもので今回で馬達を紹介するのは5頭目になりました♪今回ご紹介するのはファンシーベル(牝17)セキテイリュウオー×ヒカルライバ(母父ホリスキー) 2007年5月24日産まれ 愛称はハナちゃんスピードリュウオーの全妹ですうちのチーム唯一の黒鹿毛♥(かっこいい♥)競走馬の始めは、西脇の野田学厩舎でした。2009年8月12日デビュー(園田)真夏だね(汗)JRA認定ファーストトライで見事、新馬戦を勝ち抜きました。(素晴らしい♪)それから、2010年4月までは1ヶ月に2〜3レースを戦い、2010年春から2011年春までの1年間は、数カ月休んでは出走すると言うペースでレースを繰り返していました。2011年11月から高知競馬に移動。炭田健二厩舎で1ヶ月に2〜3レースのペースで出走。2015年5月16日がラストランになります。競走馬生活は6年間。127戦 13勝小さな身体で本当によく頑張りました。現役時代は412キロだったそうです(小いさっ)引退後は、北海道の産まれ故郷であるクラウンホースメイトに帰厩。2024年6月まで9年間、のんびりと牧場生活を楽しみました。2024年5月末に牧場長様が亡くなられて、他の5頭と一緒に6月に岡山に来ましたが、初めは周りが怖くて1頭で厩舎から出ると、ソワソワバタバタ(汗)嘶いてジッと出来ない状態でした。今でも洗い場はちょっと苦手の様です。北海道での最後のご飯ここにチームリュウオーの伊藤さんが記された会報の記録があります。愛がいっぱいです。ハナちゃんは、今でも本当に真面目でお利口さんです。ただ、ちょっとだけビックリさんな所があるので、パタパタしちゃうところがあります。でも、それも日にちが経って慣れてしまえば何でもなくなると思います。在りし日のセキテイリュウオーファンシーベル♥身体の大きさもお顔も性格もセキテイリュウオーにソックリなハナちゃん。セキテイリュウオーのファンの方がハナちゃんの写真を見て、本当にソックリでしかもリュウオーの子どもが生きていると言う事実に感動して下さいました。私達はそんな名馬の血を受け継いだ大切な子供達をしっかりと守って行きたいと思っております。ハナちゃん、これからもみんなとずーっと一緒だからね♥こんな経緯の中、頑張って生きてきた馬達のうちの1頭です。牧場が閉鎖になり6頭分の大所帯での移動費、これから必要になる馬着、その他馬の為に必要な費用・・・6頭分になります。皆様のご支援宜しくお願い致します。
こんばんは♪『DreamHorseClub』河井です。昨日は色々と夜中まで活動報告やXへの投稿作業をやっていたのですが、何とも解決しなくて(モヤモヤ)投稿出来ませんでした。これについては土曜日以降に投稿させて頂く予定です。楽しみにお待ち下さい♪さて、さて・・今日のご紹介4頭目になります。ドリーム・ハート(牝19)キョウトシチー×ビジネススタイル(母父アンバーシャダイ)2005年5月24日産まれ 愛称はユメちゃん競走馬名は シンワユメタツお顔の長〜いネクタイ模様がチャームポイントです(笑)名古屋・川西毅厩舎におりましたが・・出走の為の『ゲート試験』に合格できず又、厩舎の壁蹴りが激しく、腰を痛めていた為に未出走のまま引退しました。この馬は私が乗馬を始めて半年後位からずっとお付き合いしている馬で当時3歳でした。最初は数人でお世話をしたり、乗り運動をしたりでしたが、まぁ〜ビックリして暴れる、人を乗せれば振り落とす(笑)、馬房で蹴りは入れてくる、気に入らなければ相手構わず噛み付いていく(笑)やりたい放題の危険馬でした。しかし、私は何故かこの馬のそう言う所が可愛くてたまらなく(笑)よく変態だと言われます(笑)付き合い続けると、ビックリするのは注意力がある事、人を振り落とすのは鞍上のバランスが悪く馬自身が恐怖を覚えているから嫌になっている事(実際は鞍上がバランスを崩して落馬するだけなんですが・・)、蹴りを入れてきたり、噛み付いてくるのは、何かの欲求や気分の損ない等である事が判りました。とにかく、生産された時にその年に産まれた馬がこの馬1頭だけだったので、可愛がり過ぎてワガママになったかもしれないと、亡くなった場長さんは言われていました。今でもすぐイライラしたり食に対する欲求が強く厩舎の壁ドンや前掻きは凄いです。(そーいえば、厩舎の仕切り板が斜めになってたなぁ・・・汗)ほら、またすぐ怒る(笑)そんな感じでしたから、乗馬でもダメ馬と言われ、競走馬失格、乗馬失格(人間が馬を理解出来ていなかっただけなのに・・)と言う不名誉なレッテルを貼られ、乗馬クラブから出される事になりました。出される=行き場がなければ殺処分と言う事になります。当時のインストラクターさんは、「ドリーム・ハートは次の場所に行くのは難しいでしょう」と言われました。だから、私、買い取りました!!(笑)だって、ある日、乗馬クラブに行ったら、馬房が空っぽだったとか考えれなかったのです。ここで私、この馬助けないと一生後悔するって思ったのです。そして、私とユメちゃんは新たなクラブに移籍し本格的に馬術を始める事になりました。ユメちゃん4歳〜5歳になる頃でした。新転地に移動し、馬運車から降りてきた時に私の顔を見て初めて嘶いたユメの声を聞きました。その声は今も忘れられないです。程なくして、彼女は競技馬としてデビューし、彼女の性格が光を成したのか(笑)いつも上位入賞する様になりました。そして2014年9月北海道で行われた第66回全日本障害馬術大会パート2 MDクラスで優勝し日本1になり、故郷に錦を飾りました。ユメちゃん9歳の秋。全日本での決勝以降乗馬を引退する2019年までの10年間、障害やダービーなどの競技に出場し、いつも入賞する活躍をしました。本当によく頑張りました。同じ頃に障害競技に出場されていたサラブレッドのオーナーさんに、「目指せ!ドリーム・ハート」「追いつけ! 追い越せ!ドリーム・ハート」と思ってやって来たのに・・引退は早すぎる。と、有り難く嬉しい言葉を頂きました。でも、もう、いいょね・・・ユメ・・・(泣)これは人間のトラブルに馬が巻き込まれる形になってしまったのです。だから、私は馬の命を守る為に北海道に向かわせるしかなかったのです。こうして2019年9月ドリーム・ハートと妹のハートオブハートは産まれ故郷のクラウンホースメイトに帰厩する事になりました。牧場で何の心配もなく余生を送りのんびりと出来ると思っていましたが・・牧場長様の急死により再度、岡山へ・・牧場で過ごした5年間はドリーム・ハートにとってとても幸せな思い出となっているでしょう。クラウンホースメイトにてハートオブハートと2019年に馬が北海道に帰ってから、月に1回は訪ねて行く予定だったのですが、コロナの流行で1回だけしか行けなくて寂しい思いをさせたね。これからはずっと一緒だからね。だから、これからも宜しくね♪ユメちゃん♪こんな経緯の中、頑張って生きてきた馬達のうちの1頭です。牧場が閉鎖になり6頭分の大所帯での移動費、これから必要になる馬着、その他馬の為に必要な費用・・・6頭分になります。皆様のご支援宜しくお願い致します。
こんばんは♪いつもご支援、ご声援を頂きまして有り難うございます。本当に有り難くて、泣けてきます。有り難うございます(泣)雨が降って、少し肌寒く感じます。暖かくしてお過ごし下さいね。さて、年の順番からご紹介していますので、今日は・・・こちらのお馬さん♥スピードリュウオー(騙20)えっ!??オレ??(笑)セキテイリュウオー×ヒカルライバ(母父ホリスキー)『リュウスケ』と呼ばれる栗毛のイケメン君♥ファンシーベル(ハナちゃん)のお兄ちゃん(全兄)です。2004年6月13日産まれおじいちゃんは天馬と呼ばれていたトウショウボーイです。カッコいい♥岩手の村上実厩舎におりました。139戦11勝。850〜1800メートルを走っていました(幅広っ)貴方もたくさん走りましたねぇ・・・2006年8月26日フューチャー2歳新馬戦(水沢)がデビュー戦。2006年10月盛岡・ホープフル(中央認定)芝1000メートルでは6番人気で1着になりました♪(グッジョブ)ダートより芝向きだったのかもしれないですね。当時のファンの方々はきっと、中央競馬の芝レースで父セキテイリュウオーの主戦ジョッキーであった田中勝春さんに乗って貰いたかったでしょう。2007年〜2009年も1着~3着が多かったので、調子も良く、よいレース運びが出来ていたのではないかなぁと思わます。そして2012年9月16日水沢でラストランになります。現役生活は6年間でした。その後・・禁断の場所へ・・・廃馬にするなら牧場へ返して下さいと約束していた筈です・・・(クラウンホースメイトはいつもそうやって馬を送り出す牧場でした。)ここに当時の切羽詰まった状態を記したひとつの記録があります。人物関係が判り難いかもしれませんが競馬場から肥育場に出される現状、そう言う事が普通にある事を知って下さい。もうアカンです。泣けて来ます・・伊藤さん達のリュウスケ君に対する想いが・・よく戻って来てくれました。生きていてくれた事に感謝です(泣)こうして、2012年10月12日スピードリュウオーは産まれ故郷の牧場に帰る事が出来ました。なるほど~馬運車が苦手で汗ビッショリになるんですね・・判る気がします。今もウォーキングマシーンに入ると汗ビッショリになります(笑) 1人(1頭)になるとソワソワしたりバタバタしたりするのは、きっと肥育場が恐かったんだね・・心細くて・・・何か命の危機が近くにあった事を感じたのでしょう。そして12年間のんびり牧場で暮らしていましたが2024年6月、同じ牧場の仲間たちと一緒に岡山へ・・・もうずっとみんなと一緒だからね♪「この子は健康手帳が無かったので名前が判らなくて・・・」と移動先の牧場の方に言われました。馬には1頭ずつ健康手帳という(人間でいう母子手帳みたいな)物があります。その子のワクチン接種履歴とか、移動先とかを記した手帳です。でもリュウスケ君にはありません。そうです、肥育場に渡ると言う事はもう手帳は必要無いので全て処分されてしまいます(泣)産まれた事実さえ無くなるじゃないかっ!!!! 怒りと悲しみで言葉にならなかった事、忘れません。絶対、再交付してもらう!!! 無理なら作る!!! スタッフと決めました。他の4頭の馬と経緯が違い、スピードリュウオーとファンシーベルは競馬場から養老牧場に入りました。乗馬の経験もありません。この2頭は現役以前からチームリュウオーの所有ですが、私達、DreamHorseClubの仲間であり一員です。肥育場から牧場に帰った直後のチームリュウオーの方の愛情溢れるリュウスケ君の記事をごらんください。写真が仔馬時代ですね。可愛いぃ♥こんな経緯の中、頑張って生きてきた馬達のうちの1頭です。牧場が閉鎖になり6頭分の大所帯での移動費、これから必要になる馬着、その他馬の為に必要な費用・・・6頭分になります。皆様のご支援宜しくお願い致します。
こんばんは♪いつも応援有り難うございます。XやFacebookにイイね!リポストなど本当に有り難うございます。SNSに疎い私はきっと皆様に失礼な事をしているかもしれません。申し訳ありません。今日の岡山は昼間はとても暖かかったです。しかし、夕方になると冷えてくるので寒がりの私は早くファンヒーターを使いたい(笑)皆さんの所はどうですか?さて・・今日から暫くは1頭ずつの詳しいご紹介となります。前回はミタカキイタカでしたね♪今回のご紹介は・・・・ど、ど、ど〜ん笑笑キョウイチ(騸21)キョウトシチー×グリーンセルシナ(母父ノーザンテースト)2003年4月25日産まれ(アレ!?ミタカキイタカより年上じゃん笑笑)クラウンホースメイト(生産牧場)でのキョウトシチーの初仔だったので命名キョウトの1番子、キョウイチになりました(笑)2005年5月 札幌でデビュー。当時は門別の田部厩舎にいた様です。2005年12月からは名古屋競馬の塚田隆男厩舎におりました。101戦9勝 1400〜1600メートルで頑張っていた様です。たくさん戦いましたね。確か、『青い眼光 キョウイチ』と書かれた応援幕見たことあります(笑)2010年5月18日がラストラン 7歳で引退となりました。そして、キョウイチもまた産まれ故郷のクラウンホースメイトに帰ってきました。牧場でキョウイチに初めて会った時は、片目が青くて身体が筋肉質でノーザンテーストそっくりで、凄くカッコ良かったです。クラウンホースメイトにて~(遠い目をして何を見てるんだろ)そして、キョウイチも2014年10月ミタカキイタカ、ハートオブハートらと共に北海道から岡山にやって来たのです。牧場でのんびりは4年間でしたね。しかし、キョウイチは岡山に来てすぐに、競走馬時代からのファンであると言う女性がオーナーさんとなり群馬県に移動してしまいました。なので、私の元には、彼の昔の写真データがあまりありません(スミマセン)群馬県では、テレビ番組で女子アナを乗っけて外乗をしたり(笑)、オーナーさんやジュニアと障害の競技をしたり、又、お誕生日をお祝いして貰ったり、愛情いっぱいに可愛がって貰っていたようです。群馬県でも少し移籍したりがあったようですが、どこに行っても皆さんに愛されていました。だから、今も人間が大好き。写真を撮るといつも、ぬ〜んて感じの鼻デカ写りになる、ほんまに可愛いヤツです。2021年6月1日に群馬の乗馬クラブからクラウンホースメイトに再帰厩・・養老生活のスタートでした。4年後の2024年5月末、牧場主様の急死により6月再度、岡山に・・・牧場主様が亡くなった後、野放し真っ只中のキョウイチ・・・疲れてるょね・・ごめんキョウイチ君、君もいっぱい移動したね・・・これからはずっと一緒にいよう♪こんな経緯の中、頑張って生きてきた馬達の1頭です。牧場が閉鎖になり6頭分の大所帯での移動費、これから必要になる馬着、その他馬の為に必要な費用・・・6頭分になります。皆様のご支援宜しくお願い致します。